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2013年5月20日 (月)

集大成となる。

Facebookにも書いたけど、こっちにも同じのを書きます。

第25回日本選手権が終わりました。

俺は、日本選手権は第10回から参加してる。今年で15回になる。
最初の第10回(14歳中3)は、スクールの選手コースの皆で参加する感じで出た。
そしたらメダルが取れてね。

第11回(15歳高1)も50mBFと100mBFのみで参加だった。
その時に同じチームからユース代表が選出されて、俺も行きたい!ってフィンスイミングが始まった。
代表になった子の練習もしないとで~でも練習する場所なんて茨城にはないし、スクールの営業後にプールを貸してもらって、当時フィンスイミングの選手だったコーチに教えてらって週1回1時間だけ泳げるようになった。それも1か月毎、継続できるか分からない感じだった気がする。

そんなんでフィンのコースが少しづつ形になったけど、もっと泳ぎたくて毎週土日は両親にお願いして、茨城から千葉・東京・神奈川と練習を受け入れてくれるチームに連れて行ってもらった。渋滞を考えて片道3時間前に動くと練習2時間で帰りも2時間。一日がかりでつきあってくれた。

第12回・第13回の17歳(高3)まではビーフィンとモノフィンの両方を泳いだ。
そして17歳でユース日本代表になりメキシコに行くことができた。
第14回からシニアになり日本代表を目指したが決勝にも進めず。
だから初めて8コースで決勝に残った時は本当に嬉しかった。今でも覚えてる。
それから徐々に順位は上がって来るけど、日本代表になるには日本選手権大会で2位までにならないといけない。

結局、初めて日本代表になれたのはアジア代表。ユース卒業してから4年後の第17回で200mサーフィスだったなぁ。この時に4継と8継にも出て8継は上位チームが失格して3位入賞できた。
第18回は、100mイマージョンで初の世界大会代表になれた。 この時もリレー二つにも出場。この時の酒井さんのレースは忘れられない。

そして第19回大会前の3月にバイクで転んで足の指を骨折。間に合わないかと思ったけど・・・100mISで2位になれた!
日本代表の発表で名前を呼ばれた時、泣いた。 初めて泣いた。んだけど・・・小学生の頃から毎日、服薬している喘息の薬の中の成分がドーピングにかかり記録は剥奪となり2年間の大会出場禁止になった。 うっかりとは言えダメなものはダメ。

それでも練習はできるし~2年経てばまた出れる!って感じで、最初の1年はチームの仲間と一緒に練習することが出来たけど、その後はそれすらも禁止になり貴雄は1人で練習するようになった。 大学を卒業したけど、復帰するまで就職せずに頑張ると決め、引っ越しできるまで1年くらいは友達の家に居候してバイトしながら1人でコースを借りて練習してた。

2009年5月29日に2年間が終わり、第2のフィンスイミングが始まった。

第22回の試合前日に実家からアパートにも戻る途中に首都高で車と接触して~3号線通行止めにしちゃう事故。それでもなんとか50mAPで1位・100mSF2位になり日本代表にも復活できてアジア選手権大会に出場できた。
当時所属していたスプラッシュで結果を残したかった。から50AP の優勝は本当に嬉しかった!台湾は50mAP・50mSF・100mSF・100mIS・4継と個人最多出場もできた。
でも2年間努力してきたつもりだったのに、記録は伸びてなかった。悔しかった。

そして2010年5月20日にNAIA-FinswimmingTeamを結成。
そりゃチームを持つことは夢だったけど、こんなに早くチーム代表になるとは思わなかった。
ここからは必死だったな。チームの練習会も開催して、ユースの指導もするようになって、国際大会前は代表合宿とかもやって、年末合宿とか、グアム合宿、ロシア留学、ワールドカップ中国大会、アジア選手権、大王会とか、1年中フィンだった。

第23回はNAIA初の選手権。ベストタイムが止まっていたのがウソのようにサーフィスの記録が伸びた。50mは昨年のアジアから17秒台に入り100mも40秒を切れるところまできた。
ハンガリーでは、初めて家族が応援に内緒で来てくれるサプライズもあった。

第24回では、50mSF17”40→辰巳杯で17”26→ジャパンオープンで17”08(手動)と怒涛のベストラッシュになった。さらに100mSFも初の39秒台となりベトナム大会では、4継で2分33秒なんて日本記録も樹立でき、8継のメンバーとなり引き継ぎながら1分30秒台で泳ぐこともできた。
まぁこの年は、本当に練習したよ。こんなに追いこんだ練習をしたのは、後にも先にも無いと思う。それくらい練習した。結果はうれしかった。

でもダメだった。

初めての世界大会で見たあのレース。酒井秀彰の記録は超えられない。
もぉ限界だった。気持ちがね・・・体力や身体がとは思わない。でも、もっと速くなるには、これ以上の事をやらないとダメなのかと思ったら、気持ちがついていかなかった。

かえってきてから、練習はしなかった。いやできなかった。それでも大会はやってきた。短水路の大会でろくに練習もせず出た。まだ短い距離は泳げた。まさかの25mSF日本記録!
個人で記録を持てた。これがさらに気持ちを落ち着かせたのかもしれない。
目標だった50mAP・50mSF・100mSF・100mIS・4継で代表入りもアプニア優勝も日本記録保持者も叶ったからね。

これからは、後輩の育成に力を入れようと思った。

色々と悩んだけど、第25回の今年を引退レースにすると決めた。
決めたら、出るんだからと練習する事もあったが、以前の様には出来なかった。気持ちが奮い立たないんだ。それでも周りに悟られるのが嫌でみんなの気持ちを白けさすかも、なんて勝手に思い、練習場所に足を運びチェックインしてね。でも質は落ちたけど、やれる事をやった。

そんなんで、臨んだ今大会。
昔の様に予選から全力でいこうと決めてた。
50mSF・・・16秒79 驚いた。決勝で16秒67 
100mSF・・38秒67 これも驚いた。何が起こってるのか分からなかった。
ただ、本当に集大成になったと感じた。ベストが出ても出なくても引退しようと決めてたから。

大会後、日本代表には選考されたが気持ちは変わらなかった。

俺の座右の銘「意志強く」
小4の時に担任だった先生がこの言葉をくれた。
そこから、意志強くで生きてきた。うちの両親も。自分で決めて始めたら、どんなに違っても嫌でも1年は続けろと。
後は、「皆が持ってるから欲しい」これは通じなかった。「皆って、全員か?」といつも言われた。周りに流されないようになったのも、このおかげだ。

でもね・・・家族も友達もチームメンバーにも色んな人から声をかけてもらった。

わざわざ時間を作って会いにきてくれた協会の方もいた。

自分の意志を曲げるのは嫌いだ。でもそれは、意志ではなく意地になってるだけとも感じた。
言ってしまったから、辞める。そんな意地を張ってるのかもしれない。
すこし素直になったら、「まだ酒井さんの記録も世界のファイナルの目標も叶えてないじゃないか」と思うようになった。
そして、今年、叶うかもしれないところまで来た。
これはチャンスなのかもしれない。

1度出せたからって同じように泳げるとは限らない。でも出せる実力はある。

気負わず、やれることを・・・必要なことをやって、最後の目標叶えてくるわ!
「夢は寝なきゃ見れない。目標は努力しなきゃ見れない」ってね。

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